Q1:秀吉の遺骨から正確な身長を計測することはできないのですか?
A1:残念ながら不可能です。秀吉の遺体は京都の阿弥陀ヶ峰(豊国廟)に埋葬されましたが、関ヶ原の戦い後に徳川家康によって廟所が徹底的に破却されました。明治時代に再興工事が行われた際、秀吉のものとみられる遺骨が発見されたものの、学術的な骨格計測が行われる前に再埋葬されたため、現代科学による測定データは現存していません。
Q2:織田信長から「猿」と呼ばれていたのは、身長が低かったからですか?
A2:信長が秀吉の妻・ねねに宛てた直筆の書状では、秀吉のことを「禿げ鼠(はげねずみ)」と呼んでいます。実は同時代の信頼できる史料で信長が秀吉を「猿」と呼んだ記録はほとんど確認されておらず、「猿」という呼称は後世の創作物によって定着したイメージです。小柄で顔立ちが個性的であったことは事実ですが、猿というあだ名が低身長のみに由来するわけではありません。
Q3:甲冑を着て戦うのに、身長150cm台前半で不利にはならなかったのですか?
A3:戦国時代後期の戦闘は、一騎打ちの肉弾戦から鉄砲や長槍を用いた集団戦へと移行していました。指揮官である秀吉に求められたのは最前線での筋力ではなく、迅速な機動力、兵站の補給能力、そして的確な戦術判断力です。むしろ過度に大柄でないことによる敏捷性や持久力は、戦場を駆け回る現場指揮官として有利に働いた側面も大いにあります。