鎌倉・旗上弁財天社の勝運と縁結びの真相!政子石と御朱印の参拝ガイド

鎌倉・旗上弁財天社の勝運と縁結びの真相!政子石と御朱印の参拝ガイド

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武家政権の礎を築いた源頼朝が、平家打倒を掲げて挙兵したのは治承4年(1180年)のことでした。鎌倉に入った頼朝は、由比ヶ浜近郭にあった八幡宮を現在の地へと遷座させます。鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』によると、寿永元年(1182年)、頼朝は妻である北条政子の懐妊(のちの源頼家誕生)に際し、大庭景義らに命じて境内に池を掘らせました。これが現在の源平池です。

この池は単なる庭園の水辺ではありません。東側の「源氏池」には白い蓮を植えて3つの島(「産」に通じる)を配し、西側の「平家池」には赤い蓮を植えて4つの島(「死」に通じる)を築かせ、平家の滅亡と源氏の永遠の繁栄を祈願したという呪術的な意図が色濃く反映されています。その源氏池に浮かぶ最大の島に祀られたのが、鶴岡八幡宮 旗上弁財天社です。

頼朝が挙兵の際、伊豆山権現(現在の伊豆山神社)に祈願し、白旗を掲げて勝利を重ねた故事から、この弁財天社は「旗揚げ」の名を冠しています。文治5年(1189年)の奥州合戦に際しても、頼朝はこの島に弁財天を勧請して戦勝を祈願しました。明治の神仏分離令によって一時廃祀となる苦難を経験したものの、昭和31年(1956年)に鶴岡八幡宮の末社として再興され、昭和55年(1980年)には文政年間の古図をもとに現在の社殿が忠実に復元されました。水に囲まれた神聖な島に足を踏み入れると、800年以上続く武家の覚悟が今なお張り詰めていることを肌で感じ取ることができます。

佐藤 大輔
著者

佐藤 大輔

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