歌舞伎町2丁目のマンション群が全国的な悪名をとどろかせた背景には、昭和から平成にかけて頻発した凄惨な抗争事件の影があります。特に1990年代から2000年代初頭にかけては、暴力団同士の縄張り争いだけでなく、台頭する外国人マフィアとの衝突が激化し、日常的に発砲事件や暴力沙汰が報じられていました。
その緊張関係が頂点に達した象徴的事件が、1994年8月に歌舞伎町の中心部にあった風林会館1階の喫茶店で発生した歌舞伎町パリジェンヌ事件です。中国系マフィアグループと指定暴力団住吉会系組員が白昼堂々衝突し、店内で拳銃が発砲されて組員2名が射殺されました。この事件を契機に、歌舞伎町一帯の裏社会の力関係は激変し、近隣の組事務所を構えるマンション周辺でも報復を警戒した24時間態勢の警備が敷かれる事態へと発展しました。
当時の報道各社の取材データや警察白書を振り返ると、エレベーター内での刺傷事件、ベランダからの不審な転落事故、さらには組事務所のドアに向けた銃弾の撃ち込みなど、警察車両と鑑識が日常茶飯事に包囲する異常事態が続いていました。当時の実話誌の元編集者は手記の中で、「夜間にオートロックを抜けると、エレベーターホールで屈強な見張り番に誰の部屋へ行くのか厳しく問いただされた」と回顧しており、一般社会から完全に切り離されたアジール(治外法権領域)と化していたことが分かります。