事件直後から姿を消していたことから、警察は同居していた内弟子の飯田利明(当時22歳、芸名:片岡我全)を全国に指名手配しました。事件から14日後の3月30日、飯田は逃走先の宮城県内で逮捕されます。
取り調べによって浮かび上がった片岡仁左衛門事件の真相は、戦後の極端な食糧難と、封建的な師弟関係が生み出した凄まじい「食の格差」でした。当時、東京は深刻な飢餓状態にあり、配給も滞る日々が続いていました。その中で、飯田ら弟子・使用人に与えられていた食事は極めて粗末な残飯同然のものだった一方、師匠一家は闇ルートで仕入れた白米やすき焼きなどの贅沢な食事を口にしていたとされています。
さらに、戦前の厳しい徒弟制度が色濃く残っていた当時、飯田は雑用や子守に追われ、満足に舞台の稽古をつけてもらえない焦燥感を募らせていました。日頃の理不尽な叱責や冷遇、そして極度の飢えが重なり、蓄積した鬱屈と憎悪が「一家全員を殺して自分も死ぬか逃げるかするしかない」という破滅的な凶行へと爆発してしまったのです。