ドラマを視聴する上で避けて通れないのが、「どこまでが史実で、どこからがフィクションなのか」という疑問です。実在のホ・ジュン(許浚 / 1539年–1615年)は、朝鮮王朝中期に実在した官僚・医官であり、その業績は今日でも高く評価されています。
ホ・ジュンが編纂した『東医宝鑑(トンイポガン)』全25巻は、1610年に完成し、1613年に内医院で刊行されました。この医学書が画期的だったのは、中国の医学書を丸写しにするのではなく、朝鮮半島の風土や民衆の体質に合わせ、身近な野山で手に入る「郷薬(土着の薬草)」を用いた治療法を体系化した点にあります。さらには病気になってからの治療よりも「予防医学」や養生法を最重要視した思想が高く評価され、2009年には医学書として世界で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
しかし、ドラマで最も視聴者の涙を絞った感動的なエピソードの多くは、実は後世の創作です。歴史学的な調査や学術資料によって明らかになっている主な史実との違いは以下の通りです。
- 師匠ユ・ウィテの実在時期:劇中で絶対的な師として描かれたユ・ウィテ(柳義泰)は実在の人物ですが、ホ・ジュンより約100年後の朝鮮後期(17世紀後半から18世紀)に生きた慶尚道山清の名医です。二人が直接出会い、師弟関係を結んだという史実はありません。
- 師匠の遺体解剖:ドラマのクライマックスの一つである「胃癌に侵されたユ・ウィテが自らの遺体をホ・ジュンに解剖させ、医学の発展を託す」という壮絶なシーンは、小説家イ・ウンソンの大ベストセラー『小説 東医宝鑑』が生み出した完全なフィクションです。当時の儒教倫理(親から授かった身体を傷つけることを最大の不孝とする教え)のもとでは遺体解剖は極刑に値する大罪であり、歴史的記録には存在しません。
- 庶子差別の実態:ホ・ジュンが両班(貴族階級)の父と側室の母の間に生まれた「庶子」であったことは紛れもない史実です。当時の朝鮮社会では庶子は科挙の文科(高級官僚登用試験)を受けることが禁じられており、雑科(技術職試験)である医科に進むしか道がありませんでした。その不条理な差別を乗り越え、正一品「輔国崇禄大夫」という臣下最高位の官位を授けられたことは、彼の医術と人格がいかに傑出していたかを物語っています。
虚構が混ざっているとはいえ、それが作品の価値を損なうことはありません。むしろ、後世の作家たちが「ホ・ジュンという偉人なら、かくあるべき師と巡り合い、このような試練を越えて医の道を極めたはずだ」と信じた敬意の結晶こそが、ドラマ『ホジュン』の感動の根源なのです。