ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による「正義の授業」が世界的な反響を呼んだ背景には、これらのジレンマが2つの強大な哲学思想の衝突を浮き彫りにする点にあります。
一方は、ジェレミ・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルに代表される「功利主義(Utilitarianism)」です。行為の正しさを「結果としてもたらされる幸福や利益の総量」で評価するため、「1人よりも5人の命を救うべきだ」という結論を導きます。
もう一方は、イマヌエル・カントが体系化した「義務論(Deontology)」です。どんなに好ましい結果を生むとしても、守るべき道徳的義務やルールが存在し、「人間を目的ではなく単なる手段として扱ってはならない」と説きます。歩道橋から男を突き落とす行為や臓器くじは、他者を道具化する最たる例として断罪されます。
神経科学者ジョシュア・グリーンらのfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いた心理学研究によれば、レバー操作の問いでは論理的計算を担う「背外側前頭前皮質」が活性化する一方、歩道橋の問いでは感情処理を司る「扁桃体」や「内側前頭前皮質」が強く反応することが判明しています。人間は、理性的な計算と直感的な感情という異なる脳内システムの葛藤を抱えているからこそ、この問題に永遠に答えが出せないのです。