札幌でのテロリスト事件後、藤原は第一次UWFへ電撃移籍し、格闘技色の強いプロレス路線を牽引しました。ここで深く交差したのが前田日明との関係です。新日本時代から道場で汗を流した2人は、リング上では妥協なき激闘を演じ、リング外では時に意見を衝突させながらも、実戦的プロレスの普及に尽力しました。
その後、第二次UWFの解散を経て、1991年に自らの団体「プロフェッショナルレスリング藤原組」を旗揚げします。この藤原組からは、船木誠勝や鈴木みのるをはじめとする後の総合格闘技界を牽引する大物が巣立ちました。藤原が教え込んだサブミッションの基礎は、現在の日本のMMA(総合格闘技)の源流のひとつとして脈々と受け継がれています。