医療少年院での収容と治療教育を経て、少年Aは社会復帰を果たしました。しかし2015年、遺族への事前連絡を行わないまま手記『絶歌』(太田出版)を突如出版し、再び激しい社会的批判を浴びることになります。
手記の中で元少年Aは、自らが「酒鬼薔薇聖斗」という名前を生み出した瞬間の心理状態や、文字を紙に刻み込む際の手の感覚について、生々しい言葉で振り返っています。文章の中では、文字や言葉に対する異常なこだわりが幼少期から存在していたことが窺え、自己を物語化せずにはいられない病理が浮き彫りになりました。
その後、有料ブログの開設などネット上での発信を試みた時期もありましたが、強い反発を受けて姿を消しました。保護観察期間を終えた元少年Aは、身元を隠しながら社会の片隅で生活を続けていると伝えられています。彼が残した「酒鬼薔薇聖斗」という文字の影は、事件から四半世紀以上が過ぎた今もなお、重い教訓として語り継がれています。