中の湯温泉が歩んできた道筋は、決して平坦なものではありませんでした。創業は大正時代初期、1915年頃に遡ります。かつて宿は、梓川の谷底深く、旧国道158号(安房峠の旧道入口付近)に位置しており、素朴な湯治場として登山家たちに愛されていました。
転換点となったのは、中部縦貫自動車道の一部を形成する「安房トンネル」の建設工事が進められていた1995年(平成7年)2月11日のことでした。トンネル掘削現場で突如として大規模な水蒸気爆発が発生。大量の土砂崩落と高温の泥流が谷底を襲い、作業員4名が命を落とす痛ましい事故が発生しました。この直撃を受けた旧中の湯温泉の源泉や建物は壊滅的な打撃を受け、営業休止を余儀なくされたのです。
「先代から受け継いだ名湯の灯を絶やしてはならない」——当時の館主や関係者、そして再建を願う常連客の熱い思いを受け、旅館は梓川沿いの谷底を離れ、安房峠の九十九折(つづらおり)を登った標高の高い山腹へと移転することを決断。3年以上の歳月と莫大な努力を経て、1998年秋に現在の地で奇跡の復活を遂げました。
この移転によって、かつての谷底の風情から一転し、北アルプスの大パノラマを眼前に見下ろす「天空の絶景露天風呂」という新たな魅力が誕生しました。悲劇を乗り越えて紡がれた湯守の情熱こそが、現在の心地よいもてなしの根底に流れています。