AKB48の黎明期を語る上で欠かせないのが、「2005年12月8日の劇場初日、一般の観客はわずか7人だった」というエピソードです。今なお語り継がれるこの数字の背景には、計算と現実のギャップが存在していました。
総合プロデューサーの秋元康氏と運営陣は、インターネット黎明期において「会いに行けるアイドル」という全く新しいコンセプトを秋葉原に持ち込みました。しかし、当時は女性アイドル氷河期。初日公演の劇場250席のうち、メディア関係者やスタッフを除く純粋な一般チケット購入者はわずか7名(関係者を含めても合計72名程度)に過ぎませんでした。
ステージから見える客席のほとんどが空席という過酷な幕開けに対し、メンバーたちはチラシ配りから始めました。秋葉原の路上で自らビラを配り、冷たい視線に晒されながらも連日公演を継続。秋元康氏が提示した「未完成の少女たちが成長していく過程を見せる」という戦略は、劇場に足を運んだ初期の熱狂的なファンたちを共犯者へと変え、口コミの連鎖を生み出していきました。