おとぎ話の勧善懲悪を取り払ったとき、桃太郎 鬼退治 史実の地平には何が浮かび上がるのでしょうか。考古学や古代史の知見を重ね合わせると、これは単なる猛悪な怪物退治ではなく、4世紀から5世紀にかけて強大な勢力を誇った「吉備勢力」と「大和朝廷」の軍事的・政治的衝突の象徴であることが判明しています。
当時の吉備地域は、全国第4位の規模を誇る全長約350メートルの造山古墳(岡山市)や作山古墳(総社市)を擁し、大和の畿内政権に匹敵、あるいはそれを凌駕するほどの経済力と軍事力を誇っていました。その力の源泉となったのが、千種川流域や高梁川流域で産出された良質な鉄鉱石と、高度な製鉄・鍛冶技術です。鬼ノ城周辺の遺跡からは、当時の最先端技術を示す製鉄遺構や鍛冶炉跡、朝鮮半島系の土器が多数出土しており、温羅と呼ばれた首長は、大陸から進んだ製鉄テクノロジーをもたらした渡来系技術集団のリーダーであった可能性が極めて高いと結論づけられています。
鉄器の優位性は、農具による開墾力と武器による軍事力に直結します。畿内の中央集権化を推し進めたい大和政権にとって、山陽道と瀬戸内海水運の要衝を押さえ、独自に鉄のサプライチェーンを独占する吉備の首長集団は、何としても服属させねばならない脅威でした。大和側から見れば「まつろわぬ凶暴な鬼の討伐」であり、吉備の民や温羅側から見れば「先進技術を奪い自立を阻もうとする中央権力の軍事的侵略」という構図が浮かび上がります。吉備津彦命 温羅退治 真相とは、古代日本における一大鉄資源争奪戦と国家統合の軋轢そのものだったといえます。