日本国内における代表的なアウターライズ地震の実例が、1933年(昭和8年)3月3日に発生した「昭和三陸地震(M8.1)」です。
この地震は、1896年の明治三陸地震(プレート境界型・津波地震)によって蓄積された応力が、海洋プレート側で解放されたものと考えられています。当時の記録や岩手県・宮城県沿岸の生存者手記には、次のようなリアルな生言が残されています。
「夜半に目が覚めたが、揺れ自体は障子がカタカタと鳴る程度で、倒れる家具もなかった。『大した地震ではない』と床に戻ったわずか30分後、山のような黒い壁が轟音とともに集落を飲み込んだ」
家屋の倒壊による犠牲者は極めて少なかった一方、津波による死者・行方不明者は3,000名以上にのぼりました。揺れの小ささから誰も津波の来襲を予想できず、就寝中だった人々が高台へ逃げる間もなく押し流されたのです。この史実は、「揺れの大きさと津波の規模は必ずしも比例しない」という自然界の冷徹な事実を物語っています。