施設に足を運んでいた地元住民やスイマーたちの口コミ・評判を多角的に検証すると、単なる公共プールを超えた深い愛着と、時代の変遷に伴う現場の苦悩が生々しく浮かび上がってきます。
小学生時代に通い詰めたという地元出身の40代男性は、Web上の回想録で次のように述懐しています。
「1980年代当時、周りからは通称『温水プール』と呼ばれていました。夏休みになると自転車を漕いで友達と競い合うように通い、大人になってからは自分の子どもを連れて同じ水深の深い50mプールに入った。プールの底に差し込む光の筋や、塩素の混ざった温かい空気の匂いは、昭和・平成の倉敷の原風景そのものでした」
SNSや地域口コミサイトに投稿された利用者の声を分類すると、以下のような評価と課題が鮮明に対比を成していました。
【高く評価されていたポイント】
・「本格的な50m長水路をワンコイン程度で泳げる施設は中四国でも稀少で、フォームの確認や持久力トレーニングに最適だった」
・「水深がしっかりと確保されており、ターンの練習や本格的なストロークの練習で足が底につくストレスが一切なかった」
・「スタッフや指導員の対応が素朴で温かく、地域密着のコミュニティ拠点として落ち着ける場所だった」
【長年指摘されていたリアルな課題】
・「冬場になると館内全体の暖房効率が落ち、更衣室やプールサイドの床が冷え込んで震えることがあった」
・「シャワー設備の水圧低下やロッカー扉のガタつきなど、年々設備の経年劣化が隠せなくなっていた」
・「バリアフリー基準が昭和当時の設計のままで、車椅子や足腰の不自由なシニアには段差が厳しかった」
長所と短所が表裏一体となりながらも、利用者の声に通底していたのは「古びてはいるが、本物の水泳競技場としての誇りと温もりがあった」という確かなリスペクトでした。