『俊頼髄脳』の全体像を正確に把握するには、まず書名の意味と成立の経緯を知る必要があります。「髄脳」とは人体の「骨髄」と「脳髄」、すなわち「物事の最も肝要な核心・真髄」を指す言葉です。別名として『俊頼無名抄(むみょうしょう)』『俊秘抄(しゅんぴしょう)』とも呼ばれ、当初は全5巻、現存本では上下2巻として伝存しています。
執筆時期は天永3年(1112年)頃とされ、院政期に絶大な権勢を誇った関白・藤原忠実が、愛娘である藤原勲子(後の鳥羽天皇皇后・高陽院)のために和歌の手引き書の作成を俊頼に依頼したことが誕生の契機でした。高貴な姫君に対する和歌の手引書という性格上、単なる堅苦しい規則集にとどまらず、歌の起源から詠み方の心得、名歌にまつわる古今の説話や失敗談に至るまで、初学者が興味を惹くエピソードが平易かつ生き生きとした筆致で語られている点が際立った特徴です。
著者の源俊頼(1055年~1129年)は、大納言・源経信の三男として生まれました。当時の和歌壇は古今和歌集以来の伝統的・格式主義的な美意識に縛られていましたが、俊頼は日常の卑俗な題材や破調、俗語を大胆に取り入れた「革新派」のリーダーとして頭角を現します。白河院の院宣を受けて勅撰和歌集『金葉和歌集』の単独撰者にも抜擢されましたが、伝統を重んじる旧弊な歌人たちと激しく対立し、改撰を重ねるなど波乱万丈の生涯を送りました。こうした俊頼の「固定観念にとらわれず、歌の本質を見極めよ」という実践的な作歌姿勢こそが、『俊頼髄脳』全編を貫く太い背骨となっています。