三億円事件において「犯人は警察の息子」という強烈な言説が定着した最大の要因は、事件直後に捜査線上に浮上した実在の人物、少年S(当時19歳)の存在です。警察庁や警視庁が事件直後から最優先で追っていた立川グループのリーダー格であり、父親が現役の白バイ警官(警視庁交通機動隊所属)であったことは紛れもない歴史的事実です。
少年Sがこれほどまでに犯人視された理由は、犯行状況と彼のプロファイルが恐ろしいほど合致していた点にあります。
- 卓越したバイク運転技術:父親の影響で幼少期から大型バイクの扱いに長けており、白バイの操縦テクニックを熟知していたこと。
- 地域的な土地鑑:事件現場となった府中刑務所裏の学園通りや、逃走経路である国分寺・立川周辺の地理を完全に把握していたこと。
- 過去の脅迫・強盗手口との類似:少年Sが率いていた立川グループは、米軍基地周辺で暗躍し、過去に多摩農協への脅迫状送付や発煙筒を用いた類似の犯罪に関与した疑いが持たれていたこと。
しかし、捜査本部が少年Sへの本格的な追及を開始しようとしていた矢先、衝撃的な事態が起こります。事件発生からわずか5日後の1968年12月15日夜、少年Sは自宅の自室で青酸カリ自殺を遂げたのです。
ベッドの枕元には、父親が以前から鑑識用・農薬用等として自宅に保管していたとされる青酸カリの瓶が転がっていました。遺書は残されておらず、死因は青酸化合物中毒。事件の核心を握ると目された青年が、事情聴取の直前に突如として命を絶ったという事実は、捜査本部のみならず日本社会全体に巨大な衝撃を与えました。「警察の威信を守るため、息子の罪を悟った父親が毒を渡したのではないか」「真相を知る警察上層部が口を封じたのではないか」という警察隠蔽疑惑は、この不可解な急死によって一気に燃え広がることとなったのです。