1975年、仲代達矢は妻であり脚本家・演出家の宮崎恭子(筆名:隆巴)とともに、自宅を拠点に私塾「無名塾」を設立しました。この私塾の特異性は、「授業料を一切取らない」「全額を主宰者の私財で賄う」という前代未聞の運営方針にありました。
入塾倍率が数百倍に達することもしばしばで、選抜されたわずかな若者たちは、仲代夫妻の徹底的な指導と厳しい合宿生活を通じて鍛え上げられました。その門下からは、日本を代表する名優・役所広司をはじめ、若村麻由美、滝藤賢一、益岡徹、真木よう子など、第一線で活躍する才能が次々と巣立っています。
関係者の手記や塾生たちの回想によると、仲代達矢の指導は技術の押し付けではなく、「人間としての観察眼」と「徹底した基礎の反復」に置かれていました。毎朝数十キロのランニング、古典戯曲の徹底した読解、発声訓練など、妥協のない規律が課されたと記録されています。
現在、無名塾のあり方は塾生の自律的な運営を重視する形へ進化しています。かつて仲代達矢が一人で背負っていた現場の舵取りは、若村麻由美ら信頼の厚い卒業生たちが支え、次代へそのDNAを繋ぐ体制が整えられています。「看板をいつ下ろすか」ではなく、「演劇の灯火をどう消さずに渡すか」という実践的な継承が進められています。