特攻という戦術を語る上で避けて通れない人物がいる。大日本帝国海軍の中将であり、「特攻の父」と称された大西瀧治郎だ。彼はフィリピン戦線において神風特別攻撃隊を編制し、志願という名のもとに若いパイロットたちを必死の作戦へと送り出した。
大西自身、のちに自らの決断を「統率の外道」と評したと伝えられる。しかし、戦局の悪化に伴い、機体そのものを爆弾として突入させる戦法は海軍全体へと急激に波及した。兵士たちに選択の自由はなく、組織の圧倒的な圧力と「お国のため」という大義名分の中で、ただ命を散らすことだけが求められたのだった。