浅草のハイカラな味であったソース焼きそばが、全国津々浦々の庶民へ爆発的に広がった背景には、昭和20年代の焼きそば歴史昭和における苦難の記憶があります。終戦直後の焦土と化した東京や大阪の闇市では、深刻な食糧難が続いており、麺の主原料である小麦粉は配給品あるいは闇ルートで入手する極めて貴重な物資でした。
そこで屋台の店主たちが苦肉の策として編み出したのが、当時比較的安価に入手可能だった野菜を大量に混ぜてカサ増しする手法でした。ここで選ばれたのが、水分を多く含み、炒めても歯ごたえが残りやすい「キャベツ」です。戦後闇市キャベツの組み合わせは、単なる節約術にとどまりませんでした。熱した鉄板の上でキャベツから染み出す甘い水分が、パサつきがちだった粗悪な配給麺をしっとりと蒸し上げ、濃厚なソースが麺のクセを包み隠すという奇跡的な相乗効果を生み出したのです。
この闇市スタイルは瞬く間に全国へ伝播しました。わずかな小麦粉麺とキャベツ、そしてソースさえあれば、鉄板1枚で誰でも商売を始められる手軽さも手伝い、復興期の日本において人々の胃袋と活力を支える定番料理として不動の地位を築くに至りました。