街中の銅像がなぜ裸なのかという疑問を紐解く最大の鍵は、西洋彫刻における裸体の意味と、日本がそれを受容した歴史的経緯にあります。古代ギリシャ・ローマ時代以来、西洋美術における裸体(ヌード)像は、特定の流行服を着せることによる「時代の風化」を防ぎ、普遍的な肉体美や神性、人間の精神性を象徴する最高峰の表現形式と位置づけられてきました。衣服は制作された時代を特定してしまいますが、裸体であれば100年後も1000年後も変わらない人間の本質を描き出せるという芸術的意図が存在します。
この西洋アカデミズムの文脈が日本に持ち込まれたのは明治以降ですが、決定的な普及の契機となったのは戦後の復興期から高度経済成長期にかけてです。戦前・戦中の日本には軍人や政治家の銅像が数多く存在していましたが、金属供出や敗戦後の価値観の転換によってその多くが撤去されました。その空白を埋めるように登場したのが、平和や民主主義、文化都市の象徴としてのパブリックアートでした。
特に1960年代後半から始まった山口県宇部市の野外彫刻展(UBEビエンナーレ)や箱根 彫刻の森美術館の開館を皮切りに、全国の自治体が「彫刻のある街づくり」を推進しました。特定の政治的信条を連想させず、文化的な豊かさを演出できるモチーフとして、裸婦像や母子像が数多く選定され、公園や道路沿いに設置されていったのが実態です。