元少年Aの行動を理解するためには、事件発生からの一連の流れを整理しておく必要があります。1997年、神戸市須磨区で発生した神戸連続児童殺傷事件では、複数の小学生が死傷し、特に被害者男児の頭部が中学校正門前に置かれるという前代未聞の凶悪手口が社会に大きな爪痕を残しました。
逮捕された元少年Aは医療少年院に収容され、精神的治療と矯正教育を受けた後、2004年に仮退院、2005年に本退院(社会復帰)を果たしました。その後は身元を隠しながら各地を転々とし、生活を送っていたとされています。
転機となったのは2015年6月、突如として太田出版から刊行された手記『絶歌』でした。遺族への事前連絡や承諾を一切取らずに出版されたこの本は、事件の詳細な描写や自己弁護とも取れる内容を含んでおり、出版倫理の観点から猛烈なバッシングを受けました。その直後に開設された公式サイトは、手記の出版で得た世間の注目をさらに煽り、自らを「孤高のアーティスト」として演出するための延長線上にあったと考えられています。