血統と伝統が重んじられる歌舞伎界において、香川照之が市川中車 (9代目)を襲名した出来事は、まさに前代未聞の越境劇だった。興行を一手に担う松竹株式会社にとっても、現代劇のトップ俳優を迎え入れる試みは極めて大きな挑戦であった。
幼少期からの厳しい稽古を経て舞台に立つ門閥出身者たちとは異なり、40代半ばから身体感覚を叩き込む作業は困難を極めた。台詞回し、所作、舞台上での呼吸。現代劇で培ったメソッドを一度解体し、古典の型へと流し込むプロセスは、肉体的にも精神的にも過酷を極めた。
名門・澤瀉屋の屋台骨が揺らぐ事態が相次ぐなか、九代目は重責を一身に背負い、舞台を守り抜く覚悟を示してきた。客席からの冷ややかな視線や批評を跳ね返し、泥臭く芸を磨き上げる姿は、やがて伝統の世界でも独自の存在感として認められるようになっていく。