「まなじりを決する」に関するネット上の議論で最も関心を集めているのが、「実は多くの人が感動の意味で誤用している」という実態です。この噂は単なる都市伝説ではなく、言語学・心理学の観点からも明確な裏付けが存在します。
典型的な間違いが、「目頭を熱くする違い」を理解せず、感極まって涙ぐむシーンで「まなじりを決する」を使ってしまうパターンです。知恵袋やSNS上では、次のような誤用事例が散見されます。
「後輩の結婚式でスピーチを聞き、思わずまなじりを決してしまった」
「恩師の引退セレモニーで花束を渡しながら、全員がまなじりを決して泣いた」
これらはすべて完全な誤用です。目頭(目の鼻側の端)は涙腺に近く、感動や悲哀によって涙が滲む際に「熱く」なる部位です。それに対して、まなじり(目尻)は怒気や闘志によって顔面が引きつり、カッと開かれる部位です。本来は正反対の感情に位置する両者がなぜ混同されるのか、その背景には以下の認知的な落とし穴があります。
第1に、「目」にまつわる慣用表現であり、どちらも「感情が極限まで高まった劇的な瞬間」を描写する点です。人間の感情が高ぶる場面という大枠のイメージだけが先行し、部位の差異が抜け落ちてしまう現象が起きています。
第2に、「まなじりを決して〜」という副詞的用法の語感の重厚さです。緊迫した会議や厳しい局面で発せられることが多いため、言葉の重みだけを借用し、「感無量になって覚悟を決めた」という文脈で勝手に涙と結びつけてしまうケースが後を絶ちません。