「掛け算の学習は『いんいちがいち($1 \times 1 = 1$)』から始まるのに、なぜ呼び名は『九九』なのか?」という疑問は、多くの人が一度は抱く謎です。この答えは、紀元前の古代中国における教育法に隠されています。
歴史書や考古学の発掘調査によると、古代の掛け算表は現在の「1の段」からではなく「9の段(九九八十一)」から降順で唱えられていたことが判明しています。春秋戦国時代の文献『管子(かんし)』や『韓詩外伝(かんしがいでん)』には、すでに掛け算を「九九」と呼称する記述が見られます。
特に有名なのが『韓詩外伝』に記された斉の桓公(かんこう)と東郭郵(とうかくゆう)の故事です。広く賢士を募っていた桓公のもとに、ある男が「私には九九の算術しか能がありません」と売り込んできました。桓公が「九九など何の役に立つのか」と侮ると、男は「九九しかできない微力な私を重用すれば、天下の真の賢士たちは『あの男すら登用されるのか』と安心して集まるでしょう」と説き、見事に召し抱えられました。このエピソードからも、紀元前数百年の時点で「九九」が基礎教養の代名詞であったことが裏付けられます。
なぜ大きな数から始めたのかについては、諸説あるものの、当時の実用計算(税の徴収や兵糧の計算、天体観測など)において「大きな桁の計算ほど重要度が高かったため」、あるいは「難易度の高い九の段を冒頭に置くことで学習者の集中力を測ったため」と推測されています。日本へは飛鳥・奈良時代に伝来し、平城宮跡から出土した8世紀の木簡にも、九九の計算表が明確に残されています。