同年の全国高等学校野球選手権岩手大会決勝、対花巻東高校戦。誰もが佐々木朗希の先発登板を疑わなかった。勝てば念願の甲子園出場が決まる運命の一戦。しかし、大船渡のメンバー表の先頭に彼の名前はなかった。
指揮を執る国保陽平監督が下したのは、エースを登板させないという異例の判断だった。準々決勝で194球、準決勝でも完投していた佐々木の肘と肩を守るため、将来ある彼の野球人生を最優先にしたのだ。チームは敗れ、甲子園への切符を逃した。
試合直後、学校には抗議電話が殺到し、世論は激しい賛否両論に割れた。しかし、この決断は日本高等学校野球連盟をはじめとする野球関係者に強い衝撃を与え、後に投球数制限の導入へとつながる歴史的転換点となったのである。