インターネットの画像検索やSNS上では、「これが八尺瓊勾玉の実物写真だ」と称する画像が散見されます。しかし、断言できる客観的事実として、八尺瓊勾玉の本物を写した写真は歴史上一枚も存在しません。Web上で見られる鮮明な勾玉の画像は、各地の博物館が所蔵する重要文化財の出土品か、明治神宮などに奉納された復元レプリカ、あるいは近年のCG合成に過ぎません。
なぜなら、八尺瓊勾玉は天皇本人であっても「直接見てはならない」厳格なタブー(禁忌)に守られているからです。神器は「御筥(みはこ)」と呼ばれる何重もの木箱に収められ、さらに錦の袋で厳重に包まれ、紐で幾重にも封印されています。この不可侵の原則を破ろうとした歴史的記録が、古文書にわずかに残されています。
鎌倉時代の歴史書や公家の日記には、好奇心から神宝の箱を開けようとした者たちの生々しい記録が刻まれています。平安時代、冷泉天皇が御筥の蓋を開けようとしたところ、箱の隙間から白い煙が立ち上り、恐れおののいて断念したという逸話は有名です。また、後醍醐味天皇の側近であった日野資朝が箱を開けようとした際、白蛇が現れて威嚇したという怪奇譚も伝えられています。
これらの記述は一見すると中世の神秘的な創作劇に思えます。しかし、現場の観察記録として読み解けば、「絶対に開封してはならない強烈な宗教的プレッシャー」が歴代の権力者や側近を支配していた動かぬ証拠です。実物を誰も見たことがないからこそ、その神聖性は一度も傷つけられることなく維持されてきました。