『愛の讃歌』誕生秘話と歌詞の真相|越路吹雪と原曲が別物な理由

『愛の讃歌』誕生秘話と歌詞の真相|越路吹雪と原曲が別物な理由

『愛の讃歌』誕生秘話と歌詞の真相|越路吹雪と原曲が別物な理由の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

名曲『愛の讃歌(原題:Hymne à l'amour)』の真実を紐解くには、1940年代後半のパリとニューヨークへと時計の針を戻す必要があります。当時、すでにシャンソン界の頂点に君臨していたエディット・ピアフは、1948年にニューヨーク遠征中、運命の男性と出会いました。元世界ボクシング協会世界ミドル級王者、マルセル・セルダンです。

「モロッコの爆撃機」と恐れられた国民的英雄のセルダンでしたが、彼にはカサブランカに妻子が存在していました。2人の関係はいわゆる道ならぬ恋、不倫関係でした。それでも互いを魂の半身と信じた2人の逢瀬は激しく、ピアフはセルダンへの溢れんばかりの感情を込めて、自らノートに詩を書き留めました。これが、のちに歴史に刻まれるシャンソン名曲の経緯です。

運命が暗転したのは1949年10月27日のことでした。ニューヨークの高級ナイトクラブ「ヴェルサイユ」で長期公演を行っていたピアフは、パリにいたセルダンに電話をかけ、「船ではなく、飛行機で一刻も早く会いに来てほしい」と懇願しました。船旅を予定していたセルダンは、彼女の願いを叶えるため急遽エールフランス009便(ロッキード・コンステレーション機)へと搭乗を変更します。

しかし、その航空機は大西洋上のアゾレス諸島サンミゲル島の山中に墜落。乗員乗客48名全員が死亡するという凄惨な事故となり、セルダンは帰らぬ人となりました。自らのわがままが最愛の男を死に追いやったという底知れぬ自責の念と絶望のなか、ピアフは事故の翌日、周囲の猛反対を振り切ってステージに立ちました。憔悴しきった姿でマイクの前に現れた彼女が、涙を流しながら歌い上げたものこそ、彼に捧げるはずだった『愛の讃歌』だったと伝えられています。

山田 真由
著者

山田 真由

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