そもそも、なぜ母の日にはカーネーション、とりわけ「赤い花」を贈る習慣が地球規模で定着したのか。その起源は20世紀初頭のアメリカ・ウェストバージニア州に遡る。
平和活動家であり、南北戦争期に敵味方を問わず負傷兵の衛生改善に尽力したアン・ジャービスが1905年に他界した。その娘であるアンナ・ジャービスが、母の崇高な献身を称え、生前の母への感謝を社会全体で形にしようと提唱したのが母の日運動の始まりだ。1908年5月10日、アンナはフィラデルフィアの教会で行われた母の追悼ミサにおいて、母が生前こよなく愛していた白いカーネーション500本を参列者に配った。
その後、この運動が全米へ拡大し、1914年に当時のウッドロウ・ウィルソン大統領が5月の第2日曜日を正式な「母の日」として国民の休日に制定。その際、アンナの提案によって「母が健在な人は赤いカーネーション」「母を亡くした人は白いカーネーション」を胸につけて敬意を表すルールが策定された。これが時を経て、「健在の母親には赤いカーネーションをプレゼントする」という現在の形へと変遷を遂げた経緯がある。
赤いカーネーションが持つ花言葉「母への愛」「純粋な愛情」は、単なる語呂合わせや後付けのイメージではない。キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩む姿を見つめた聖母マリアが流した涙の跡から咲いたというキリスト教の伝承と、母アン・ジャービスを生涯慕い続けた娘アンナの魂の叫びが融合して生まれた、歴史的重量を持つ象徴体系なのだ。