「右翼」という言葉でひとくくりにされがちですが、その実態は一枚岩ではありません。右翼運動の歴史を紐解くと、純粋な思想的探求や国体論を掲げる「純正右翼・民族派」と、街頭宣伝活動を前面に押し出す行動右翼との間には、思想的にも組織的にも深い溝が存在します。
戦前の右翼運動は玄洋社や黒龍会などに代表され、国家革新やアジア主義を標榜する知識人や政治活動家が主導していました。戦後、反共産主義を掲げて再編された右翼陣営からは、赤尾敏(大日本愛国党)や野村秋介のように、徹底した自己犠牲と独自の美学をもって行動する「民族派」と呼ばれる潮流が生まれました。野村秋介はかつての手記で「右翼の真髄とは損得勘定を捨て、民族の魂を覚醒させる祈りであり、金銭や暴力の具にしてはならない」と書き残し、利権と結びついた活動を厳しく戒めていました。
しかし、高度経済成長期からバブル経済期にかけて、その純粋性を大きく損なう変質が生じます。いわゆる街宣右翼と暴力団の結託です。暴力団組織が取り締まりの目を逃れる隠れ蓑として、あるいは新たなシノギ(資金獲得活動)の手段として、傘下に政治結社を設立するケースが急増しました。これらは思想的背景をほとんど持たず、もっぱら企業スキャンダルや公害問題、不正融資などを嗅ぎつけては街宣車を差し向け、「街宣を止めてほしければ金を出せ」と迫る総会屋的・示談屋的な活動に従事しました。世間一般が抱く「右翼=怖い、暴力団の仲間」というネガティブなイメージは、この時代に定着した街宣右翼の活動によって決定づけられたものです。