社会現象を巻き起こした名曲「私以外私じゃないの」のリリース以降、ワーナーミュージック・ジャパンと共に歩んできた軌跡は、日本のメジャー音楽シーンにおける構造改革の歴史そのものだ。難解な音楽理論と大衆性を高度に結びつけ、茶の間にオルタナティブの毒を注ぎ込む手法は、後進のバンドに決定的な影響を与えた。
メジャーという巨大なシステムの中に身を置きながら、決してクリエイティブの主導権を渡さないスタンス。タイアップの枠組みさえも自身の表現手段へと転換してしまうプロデュースワークは、レーベルとの強固な信頼関係があってこそ成立している。ヒットを生み出すことと芸術性を保つことの狭間で、彼は常にギリギリの勝負を仕掛け続けてきた。