日本に近代サッカーが伝来したのは、1873年(明治6年)、東京・築地の海軍兵学寮において英国海軍少佐アーチボルド・ルシアス・ダグラス(Archibald Lucius Douglas)らが教官として来日し、海軍生徒に指導したのが始まりとされています。その後、1878年に体操伝習所が設立され、近代体育の教育カリキュラムとして全国の高等師範学校へと広がっていきました。
当時、西洋から流入したスポーツには、知識人や教育者たちによって次々と漢字の訳語が考案されました。明治後期の教育現場や新聞報道において、足でボールを蹴る競技の性質を端的に表す言葉として「蹴球(しゅうきゅう)」という訳語が定着します。古代中国から日本に伝わった宮中遊戯「蹴鞠(けまり・しゅうきく)」の字義を援用しつつ、近代西洋スポーツの「フットボール」に対応する新語として機能させたのです。
さらに、早稲田大学や慶應義塾大学、東京高等師範学校(現・筑波大学)などの教育機関で部活動が組織されるにつれ、公的文書や新聞記事の見出しには一貫して「蹴球」の二文字が躍るようになり、近代日本における標準和名としての地位を確立しました。