若手芸人の苦労話は珍しくないが、彼が経験した貧困生活のレベルは群を抜いている。北海道から上京し、長年にわたり日の目を見ない日々が続いた。家賃の支払いに窮し、真冬の寒さに凍える部屋で電気を止められた夜、信号機の赤信号の光を目にして「あの赤さは温かいんじゃないか」と手をかざしたという伝説的なエピソードは、ファンの間でも有名だ。
金銭的な余裕のなさから歯の治療を受けられず、奥歯を失っても「噛まないで呑み込めばいい」と笑い飛ばしていた。しかし、その過酷な環境であっても、劇場でしゃべる漫才だけは決して手放さなかった。周囲が諦めて芸能界を去っていく中、どれほど困窮しても舞台に立ち続けた根性こそが、後のブレイクを支える原動力となったのだ。