なぜこれほどまでに巨大な炎が、この静かな城下町を狂気にも似た熱情で包み込むのか。時計の針を江戸時代初期、寛永20年(1643年)へと巻き戻してみる。白河から二本松藩主として入封した丹羽光重は、領民の心が定まらず荒廃していた城下を憂慮していた。光重が打ち出したのは、領民誰もが身分を越えて自由に参拝できる寛容な神事の創設だった。
領民の精神的支柱として二本松神社の社殿を整備し、神輿の渡御に伴って町民が練り歩くことを許したのが祭りの濫觴だ。本町、亀谷、竹田、松岡、若宮、本町、郭内――七つの町(字)が競い合うようにして飾り立てた太鼓台は、民衆の誇りそのものとして巨大化していった。身分制の厳しかった時代に、身分を問わず誰もが祭りの輪に入り、町中が一つになること。光重公が蒔いた融和の種は、数百年をかけて七町それぞれの強固な連帯と意地へと結実した。
太鼓台に灯される火は、電気ではない。一本一本、人の手で火を灯す本物の蝋燭だ。風が吹けば消え、揺れれば蝋が飛び散る。それを高所に身を乗り出した若者たちが、火の粉を浴びながら素手で瞬時に付け替えていく。この命がけの作業を見れば、これが単なる見世物ではなく、神仏と先祖へ捧げる魂の神事であることを誰もが悟るだろう。