志村けんさんのキャリアを語る上で欠かせないのが、若き日の泥臭い下積み時代と、運命的なザ・ドリフターズ加入のプロセスです。高校卒業を目前に控えた1968年(当時18歳)、志村さんはいかりや長介さんの自宅に直接押し掛け、門前で何時間も待ち続けて弟子入り(付き人)の許しを得ました。
その後、バンドボーイや「マックボンボン」というコンビでの試行錯誤を経て、大きな転機が訪れたのが1974年4月(当時24歳)でした。初期メンバーであった荒井注さんの脱退に伴い、志村けんさんが正式メンバーとしてザ・ドリフターズに昇格・加入を果たしたのです。
しかし、加入当初は「新入り」としてのプレッシャーが重くのしかかり、客席の反応が鈍い苦難の時期が続きました。その空気を劇的に一変させたのが、1976年に『8時だョ!全員集合』の少年少女合唱隊コーナーで披露した「東村山音頭」でした。郷土色をコミカルにデフォルメしたフレーズと圧倒的なリズム感は瞬く間に全国の小学生を虜にし、志村けんの名を一躍トップスターへと押し上げました。
リーダー・いかりや長介さんとの関係は、厳格な師弟関係でありながら、クリエイティブにおける激しい攻防の歴史でもありました。自著や当時の関係者の証言によると、ネタ作りの現場では若手であった志村さんが徹底して独自の笑いを提案し、時にいかりやさんと激論を交わしたとされています。この緊張感と相互リスペクトこそが、最高視聴率50%超を叩き出したモンスター番組の原動力となりました。