太東埼灯台がただの景勝地にとどまらない最大の理由は、敷地内に息づく重厚な歴史遺産にあります。太東崎一帯は、太平洋戦争末期の日本海軍において帝都・東京防衛の軍事要衝に位置づけられており、敵艦船や来襲する連合国軍航空機を早期捕捉するためのレーダー基地「海軍電測所」が建設されました。
現在でも灯台の広場周辺や木立の奥に足を踏み入れると、強固な鉄筋コンクリートで築かれた電探壕(防空壕)の開口部や、電波探信儀(レーダー)の機械室、台座とみられるコンクリート基礎がはっきりと残されています。戦況が悪化の一途をたどった1945年(昭和20年)当時、米軍の本土上陸作戦(コロネット作戦)において九十九里浜が最有力上陸地点の一つと想定されていたため、この電測所には死活的な防空・索敵任務が課されていました。
当時の配備部隊の手記や地元郷土史の記録には、「断崖から吹き付ける猛烈な潮風のなか、空襲の合間を縫って粗末な偽装網をかぶせ、命がけで電波観測を続けた」という過酷な現場の証言が残されています。今日、平和な観光地として整備された緑地の一角に、頑丈なコンクリートの塊がひっそりと露出している光景は、訪れる者に戦争遺跡としての重みと教訓を静かに語りかけています。