順調に見えた家治の治世後半は、相次ぐ悲劇と未曾有の天災に見舞われることになります。最大の打撃となったのが、安永8年(1779年)、18歳という若さで命を落とした嫡男・徳川家基の急死でした。
家基は文武両道で家臣からの信望も厚く、次期将軍として嘱望されていましたが、鷹狩りの帰りに突然体調を崩し、わずか数日で帰らぬ人となりました。最愛の息子を失った家治の悲痛は凄まじく、幕府の屋台骨を大きく揺るがす事態となります。
さらに天明3年(1783年)には浅間山の大噴火が発生し、東日本一帯を天明の大飢饉が襲いました。田沼主導の経済政策への不満が一気に噴出し、全国で打ちこわしや百姓一揆が頻発。家治と意次が目指した先進的な経済改革は、自然の猛威の前に大きな軌道修正を迫られることになりました。