やがて萩本欽一は、盟友・坂上二郎と共に「コント55号」を結成します。浅井企画の設立とともにその才能を開花させたふたりは、疾走感あふれる斬新なコントで一躍、全国的な大ブレイクを果たしました。舞台上を縦横無尽に走り回る命がけの芸風は、瞬く間に日本中を大爆笑の渦へと巻き込んだのです。
超多忙を極める毎日の中で、周囲への影響やアイドル的な人気を考慮し、結婚の事実はしばらく伏せられていました。しかし、澄子さんは日の当たる場所に出ることを望まず、陰でじっと夫の躍進を支え続けました。「俺がここまで来られたのは澄子のおかげだ」。国民的スターとなっても、萩本欽一の根底にあったのは、過酷な時代を共に耐えてくれた妻への深すぎる感謝の想いでした。