「東洋の魔女」という異名が生まれた背景には、当時の国際スポーツ界に走った凄まじい衝撃がありました。その母体となったのは、大阪府貝塚市に拠点を置いた日紡貝塚女子バレーボール部(ニチボー貝塚)です。大日本紡績(のちのユニチカ)が1954年に全国各地の工場バレー部を貝塚工場へと統合・集約したことで、伝説のチームの歴史が幕を開けました。
当時、世界の女子バレーボールを牛耳っていたのは、ソ連やチェコスロバキアをはじめとする東欧・ソ連勢でした。平均身長で10センチ以上も下回る小柄な日本人女性たちが、高い打点から打ち下ろされる強烈なスパイクをことごとく拾い上げ、変幻自在のトスワークから鮮やかに得点を奪っていく姿は、欧州の関係者にとって信じがたい光景でした。
転機となったのは、1961年の欧州遠征です。大松博文監督率いるニチボー貝塚は、ソ連を含む欧州強豪国とのアウェー戦で22戦全勝という信じがたい白星街道を突き進みました。この遠征を取材した現地の地元メディアやファンが、まるで魔法を使っているかのように縦横無尽にコートを駆け巡る彼女たちの姿に畏敬の念を込め、「Magic of the Orient」「東洋の魔女」と呼んで驚愕したことが名付けの理由です。
帰国後、このフレーズは日本国内の報道各社でも一気に定着しました。単独実業団チームでありながら、1959年から1966年にかけて達成した公式戦175連勝は、女子球技スポーツ界における不滅の金字塔として今も燦然と輝いています。