合戦当日の永禄3年5月19日、事態は電光石火のスピードで推移しました。緊迫のタイムラインを整理すると、信長の卓越した状況判断が浮き彫りになります。
【午前4時頃:清須城出陣】
今川軍による丸根・鷲津砦への攻撃開始を知った信長は、幸若舞『敦盛』を舞った後、わずか数騎を従えて清須城を飛び出します。熱田神宮で戦勝を祈願しつつ後続の兵を待ち、善照寺砦に入城しました。
【正午前後:中島砦進出と天候の急変】
二つの砦が陥落した報を受け、家臣の制止を振り切って前線の中島砦へ進出。この頃、季節外れの猛烈な豪雨と雹(ひょう)が降り注ぎ、東(今川方)に向かって吹き付けました。風雨を背に受けた織田軍に対し、今川軍は視界と聴覚を奪われます。
【午後2時頃:突撃と義元討死】
雨が上がると同時に、信長は義元本陣に向けて一斉突撃を下令。乱戦の中で服部春安が義元に一番槍をつけ、毛利良勝が組み付いてその首級を挙げました。総大将を失った今川軍は統制を失い、総崩れとなって駿河へ敗走しました。