岸内閣最大のハイライトであり、最大の危機となったのが1960年の安保改定をめぐる激動です。
岸は「対等な日米関係の構築」を掲げて米国と粘り強く交渉を重ねましたが、野党や左派勢力、労働組合、学生組織(全学連)は「米国の戦争に巻き込まれる」「軍国主義の復活だ」と猛反発。1960年5月19日、岸内閣が衆議院で警官隊を導入して新条約を強行採決したことで、国民の怒りは頂点に達しました。
国会議事堂周辺は何十万人ものデモ隊に包囲され、連日「アンポ反対・岸倒閣」のシュプレヒコールが響き渡りました。6月15日には東大生・樺美智子さんが死亡する痛ましい衝突事件が発生。米国のアイゼンハワー大統領の訪日も中止に追い込まれます。
岸は自衛隊の治安出動すら検討しましたが防衛庁長官に拒絶され、孤立無援の中で新条約の自然成立(1960年6月19日)を見届けました。条約批准書の交換を完了した直後の6月23日、政治的混乱の責任を取る形で退陣を表明。退任直前には首相官邸内で右翼暴漢に襲われ、太ももを刺される重傷を負う劇的な幕切れでした。