SIAM SHADEが2002年に日本武道館で迎えた解散の公式発表は「音楽性の相違」でした。ミリオンセラーを記録した大ヒット曲のイメージに縛られることなく、よりハードでテクニカルなロックを追究したいギタリスト陣と、ストレートなポップネスやメッセージ性を重んじるボーカル陣との間で、クリエイティブの方向性が分岐したことは当時の手記や音楽誌のインタビューでも率直に吐露されています。
しかし、本質的な確執は2007年の元チーフマネージャー追悼ライブ以降、散発的に行われた再結成のプロセスで徐々に肥大化していきました。東日本大震災の復興支援(2011年)やデビュー20周年(2015〜2016年)など、大義名分のもとで集結したステージでは圧巻のパフォーマンスを披露したものの、舞台裏では運営方針や将来的なバンドのあり方を巡り、DAITAと他メンバーとの間に温度差が生じていました。
特にボーカルの栄喜とDAITAの関係性は、互いの才能を認め合いながらも、職人気質の完璧主義と情熱的なロックスピリットが衝突しやすい二律背反を孕んでいました。ステージ上での爆発力は唯一無二であった一方、バンドという運命共同体を持続させるためのビジネス感覚や権利処理において、DAITAが求めた厳格なプロフェッショナリズムと、他メンバーが求めた柔軟な連帯感は、埋めがたい溝となっていったのです。
「5人でなければSIAM SHADEではない」という信念を最も頑なに遵守しようとしたのがDAITAであり、その純粋さゆえに、DAITA抜きの4人で形骸化した活動を展開しようとする動きに対して、強烈な拒絶反応を示す結果となりました。