北勝海(本名・保志信芳)が北海道十勝から九重部屋に入門したのは1979年の春でした。当時の部屋の看板力士は、すでに幕内で頭角を現し大関・横綱へと飛翔しようとしていた千代の富士です。師匠の北の富士は、入門したばかりの若き保志の素質を見抜き、千代の富士の付け人に抜擢しました。
当時の九重部屋の稽古場は、まさに戦場そのものでした。とりわけ語り草となっているのが、保志と千代の富士の壮絶な稽古エピソードです。千代の富士は弟弟子である保志を指名し、毎日数十番にも及ぶ猛烈なぶつかり稽古を課しました。土俵に叩きつけられ、泥だらけになって息も絶え絶えの保志に対し、千代の富士は一切の妥協を許さず胸を出し続けました。「横綱に殺されるかもしれない」と恐怖すら覚えたと後に保志自身が述懐するほどの厳しさでしたが、この過酷な鍛錬こそが、後の第61代横綱・北勝海の強靭な足腰と無類の押し相撲の礎となりました。
1987年5月場所後、北勝海が横綱昇進を果たしたことで、角界に一大センセーションが巻き起こります。同一部屋から同時に二人の横綱が君臨する「同部屋ダブル横綱」の誕生です。毎日の稽古場に現役横綱が二人揃って土俵に上がる光景は、ライバル部屋を震え上がらせ、九重部屋の黄金時代を決定づけました。