太宰治の器の小ささと執念深さを象徴する最も有名なエピソードが、第1回芥川賞をめぐる騒動です。当時、新進作家として認められ実家からの仕送りを再開させたいと切望していた太宰は、芥川賞の受賞に生活のすべてを賭けていました。
しかし、第1回の選考委員だった川端康成から「作者目下の生活に厭な雲あり」と私生活の乱れを理由に落選を告げられると、太宰は激昂。『文藝通信』誌上で「刺す。さうも思つた。大悪党だと思つた」と公開書簡で川端を激しく罵倒・脅迫するという、文壇前代未聞の暴挙に出ます。
さらに見苦しさを極めたのが、選考委員のひとりであった師匠格の佐藤春夫に送った懇願手紙です。太宰は巻紙に4メートルを超える長文をしたため、「佐藤さん、私を忘れないで下さい」「死ぬるばかりであります」「どうか私に芥川賞を下さい」と哀願しました。ところが第2回は候補にすら入れず、第3回で落選が決定すると、あれほどすがりついた佐藤春夫に対しても不平不満を募らせ、最終的には絶縁状態に陥ってしまいます。名誉と金への露骨な執着は、現代の文士像からもかけ離れた異様なものでした。