浜田雅功が入学したのは、三重県津市(旧・一志郡白山町)の山間に位置していた日生学園第二高等学校(現・青山高等学校)です。全寮制による徹底した全人教育を掲げて設立された同校は、昭和50年代から60年代にかけて、全国から集まった生徒たちに対して極めて厳格な集団生活を課していました。
当時の日生学園の寮生活の実態は、一般的な高校生活の想像を遥かに絶するものでした。起床時間は毎朝午前4時30分。起床ラッパとともに飛び起きた生徒たちは、布団を寸分の狂いもなく畳み、掛け声とともに校庭へと駆け出します。私物の持ち込みは厳しく制限され、テレビやラジオはもちろん、雑誌や菓子の所持すら禁止。外界との連絡手段は公衆電話のみという、完全な隔離環境に置かれていました。
日生学園の教育理念の根幹にあったのが、創足者の提唱した「全力心行」と「精神修養」でした。一分の隙も与えず肉体を極限まで追い込むことで雑念を消し去るという方針のもと、生徒たちは常に全力疾走と大声での復唱を義務づけられていたのです。