この差別構造の犠牲者として、歴史上もっとも過酷な運命を背負わされた女性がいる。1789年頃、南アフリカの東ケープ地方で生まれたサラ・バートマン(Sarah Baartman)だ。彼女は家族を植民地紛争で失い、ケープタウンで白人商人の召使いとして暮らしていたが、その独特な体型――先住民族の女性に見られる臀部の脂肪過多(脂肪臀)や特徴的な身体造形――に目をつけた興行師によって、1810年にロンドンへと連れ出された。
ロンドンのピカデリー通りに設けられた見世物小屋で、彼女は「ホッテントット・ヴィーナス」というグロテスクな異名を与えられ、檻のような舞台の上で肌色の薄布一枚で晒し者にされた。好奇と嘲笑に満ちた上流階級や民衆の視線に晒され、時には金を払った観客から棒で突かれ、身体を触られるという耐え難い屈辱を強いられた。当時のイギリスでは奴隷貿易廃止法が成立していたにもかかわらず、彼女は「自発的な契約に基づく興行」という欺瞞の盾によって、事実上の奴隷状態に縛り付けられていたのである。
ロンドンでの人気が下火になると、彼女はパリの興行師へと売り渡された。フランスのサロンやサーカスでさらなる見世物とされ、極貧とアルコール依存に追い込まれた彼女は、1815年の暮れ、わずか26歳前後の若さで病に倒れ、異郷の地で孤独に息を引き取った。