二人の関係は、平坦な道ではなかった。当時の保守的な日本プロ野球界において、沙知代の存在感と現場への関与は激しい反発を生む。1977年、南海ホークスから「野球をとるか、女をとるか」という過酷な二者択一を迫られた克也氏。「男が女房を愛して何が悪い」。克也氏は指揮官の座を捨て、沙知代の手を取った。
チームを追われ、四面楚歌となった二人は、世間の冷酷な視線に晒されながらも結束を強めていく。後にプロ野球選手として育つ一人息子・野村克則氏を授かり、家族としての絆は強固なものとなった。周囲の猛反対を押し切って選んだ愛は、単なるスキャンダルではなく、生涯にわたる二人の共闘関係の始まりだった。