喜多川歌麿の才能をいち早く見抜き、世に送り出した仕掛け人が、江戸屈指の版元(プロデューサー・出版人)である蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)です。蔦重は吉原の遊郭案内書『吉原細見』の出版で頭角を現し、狂歌ブームの仕掛けや東洲斎写楽の発掘など、江戸カルチャーを牽引したメディア王でした。
1780年代、歌麿は蔦屋の庇護を受け、狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』などで精緻な自然描写の腕を磨きます。そして蔦重の綿密なマーケティング戦略のもとで放たれたのが、町で評判の看板娘たちをモデルにした現代でいう「アイドルグラビア」でした。
その筆頭が、浅草水茶屋の看板娘・難波屋おきた(なにわやおきた)や、両国柳橋の芸者たちです。蔦重と歌麿は、彼女たちの実名を画面に配したシリーズを刊行し、江戸中で爆発的なブームを巻き起こしました。熱狂した庶民が店に押し寄せたため、幕府から「風紀を乱す」として名前を入れることを禁止される事態にまで発展したほどです。
蔦屋重三郎の卓越したプロデュース力と、歌麿の卓越した人物描写。この2人のタッグによって、浮世絵美人画の歴史は「絵師個人の表現」を超え、江戸の都市文化を動かす一大エンターテインメント・ビジネスへと昇華しました。