国内外のオンライン英会話受講者や語学留学経験者を対象としたヒアリング、SNSコミュニティ上の実態調査を行うと、多くの日本人学習者が「wear」を巡るコミュニケーションの行き違いを経験している実態が浮かび上がります。
「朝の支度中、スクールバスが近づいて焦ったホストマザーから『Get dressed quickly!』と叫ばれたが、教科書で習ったwearが出てこず一瞬戸惑った」「ZOOM会議の直前に同僚へ『ジャケットを着るから待って』と伝えようとして『I am wearing my jacket.』と言ったら、『もう着てるなら早くカメラをオンにして』と返されて噛み合わなかった」といった証言は後を絶ちません。
なぜ日本人はこれほどまでにwearに引きずられてしまうのでしょうか。言語心理学や比較文化論の観点から分析すると、日本語の「着る」という動詞は、動作の開始から着終えた後の状態までを包括する「結果相」を内包する言語構造を持っています。「着物を着る」と言った場合、羽織る瞬間だけでなく、着物をまとって座っている姿も含めて同じ動詞で成立します。しかし、客観的な物理運動の事実を精緻に言語化する英語文化圏では、衣服という客体を身体に乗せるプロセス(put on)と、身体に乗ったまま空間に存在する状態(wear)を同一の単語で処理することに強い抵抗感が生じます。この言語的バウンダリー(境界線)の認識不足こそが、混乱の根本原因です。