戦後の1950年代初頭までは、東京都心部(日比谷や銀座周辺の接収地など)でも「モータープール」という呼び名が一部の報道や俗語として見られました。それにもかかわらず、なぜ東京をはじめとする関東圏では完全に死語となり、関西、とりわけ大阪にだけ強固に残存したのでしょうか。
都市交通史および社会言語学の記録を照合すると、そこには1957年の「駐車場法」制定と、1964年東京オリンピックに伴う都市大改造が決定打となった事実が浮かび上がります。
東京では、1960年代の高度経済成長とオリンピック開催に向けた首都高速道路の建設、公共インフラの急ピッチな近代化が進められました。行政指導のもとで街路標識や公的文書の表記が「駐車場」または「パーキング」へと厳格に統一され、米軍基地の返還とともに軍事色の強い看板は都心から一掃されたのです。
一方、当時の大阪では、民間の土地所有者が焼け跡や遊休地を活用し、いち早く自力で時間貸しや月極の駐車ビジネスを立ち上げていきました。その際、当時の日本人にとって最先端のアメリカ文化を象徴していたカタカナ英語「モータープール」の響きは、洗練された高級感とハイカラな都会のイメージを放っていました。
「単なる『車置場』と看板を掲げるより、進駐軍仕込みの『モータープール』と名付けたほうがモダンで集客力がある」という大阪商人ならではの鋭い商業センスと独立独歩の気質が、この呼称を民間ビジネスの屋号として強固に定着させたのです。