1983年(昭和58年)7月、激震が走ります。細木氏が東京都内の区役所に対し、安岡正篤氏(当時85歳)と細木数子氏(当時45歳)の婚姻届を提出・受理させたのです。40歳もの年齢差を超えた電撃入籍劇は、すぐさま関係者の知るところとなりました。
この事態に激怒したのが、安岡氏の実子をはじめとする遺族や親族、そして長年安岡氏に仕えてきた側近たちでした。それもそのはず、当時の安岡氏は脳梗塞の後遺症や重度の認知症が進行しており、自らの意思で婚姻という重大な法律行為を判断できる状態ではなかったとされています。
遺族側の証言によれば、安岡氏は家族の顔すら判別がつかないほど病状が悪化していました。にもかかわらず、細木氏は安岡氏を自身の管理下に置き、親族の面会を制限しながら婚姻届に署名・押印させた疑いが浮上。さらに安岡氏の著作権を管理する団体の理事就任など、財産権の掌握に向けた動きを一気に加速させたため、親族との間に修復不可能な確執が決定的となりました。