愛媛が育んだ才能は、中央政界や軍事の枠に留まりません。スポーツ史と世界文学の領域においても、歴史に刻まれる巨星が存在します。
映画『KANO 1931 海の向こうの甲子園』で国際的にも脚光を浴びたのが、松山出身の指導者・近藤兵太郎のKANOにおける功績です。愛媛県立松山商業高校を強豪へと育て上げた近藤は、日本統治下の台湾に渡り、嘉義農林学校(KANO)の初代野球部監督に就任。当時としては画期的だった「日本人・台湾原住民族・漢人(漢民族)」による混成チームを編成しました。人種や出自に関わらず実力と礼節を重んじる猛練習を重ね、1931年の第17回全国中等学校優勝野球大会で初出場・準優勝という奇跡を成し遂げました。差別や偏見を排し、個々の身体能力を極限まで引き出した近藤の哲学は、現代のダイバーシティ教育の先駆けと言えます。
文学の領域では、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の出身地が愛媛県喜多郡大瀬村(現・内子町)です。四国の鬱蒼とした山森に囲まれた幼少期の記憶と原風景は、『万延元年のフットボール』や『同時代ゲーム』といった傑作群の核となり、土俗性と普遍的な人類の危機意識を融合させた重厚な世界文学へと結実しました。地方の山村から世界の知性へと昇りつめた大江の軌跡もまた、愛媛の風土がもたらした強烈な個性の一つです。